寿限無

やぶらこうじのぶらこうじ

コロナはやく終われ

・地元のスナックの扉に、雑な字で「当店からコロナ感染者が出たと噂されていますが、そのような事実はありません。」と書かれた紙が貼られていた。

・自粛警察と揶揄される行為は五人組のようだし、みんながこぞって手縫いのマスクを作り始めたときはまるで戦時中の竹槍訓練か千人針のようで、「コロナに負けるな!」の言葉はその感覚を後押しした。柄モノで楽しもうという動きはモンペをオシャレに着こなそうと工夫していた女性達の姿に重なる。数十年後の学生は、歴史の教科書をめくりながら「なんて意味のないことを信じていた怖い時代なんだ」と思うだろう。わたしがそうだったように。

・高校時代、政治担当教師が「自民党政権が終わった。これは必ず教科書にのる。私達はいま、歴史の1ページにいる。」と楽しそうに話していたことを思い出す。そのときは大袈裟だと思っていたけれど、東日本大震災以降、さまざまな場面でその言葉を実感している。

 

・再開したディズニーシーのメディテレーニアンハーバーからミッキー達の挨拶を見て、本来ならミッキー達がいくら手を振っても間に合わないほどの人がここにいるはずなのに、今の彼の目にうつる風景にこんなにも人が少ないなんてと悲しくてちょっと泣いた。

推しが見ている風景の一部になりたい。「今日も客席が埋まっている」「たくさんの人が手を振っている」その群衆のひとりになりたい。「なんか差し入れが多いな」のひとつになりたい。今は、そのひとつになる場所すら無い。

 

・結婚式に向けてドレスの試着や招待状の発送やら、いよいよ尻に火をつけるための松明が用意された気分だ。式場の提案するコロナ対策だけでゲストが安心できるのか、1卓何人がいいのか、ウェルカムドリンクは?集合写真は?プチギフト手渡しは危険?どうしたらいいのかわからないことがたくさんありすぎる。

招待予定の同僚に「予定通り強行するの?」と聞かれて、やはりどれだけ対策をしても「強行」なのか、と思った。喉元に刺さる魚の骨。「結婚式でクラスター」と報道される夢はすでに見た。

外出自粛あれこれ

 外出自粛については、もともとインドアなのもあってあまり苦に感じていない(完全な在宅勤務に移行できず通勤行為が続いているのも苦に感じていない理由だと思う)。今のところリストラや収入面に関する心配もない。毎朝遅くに起きて、とりあえずリビングに移動して、ヨギボーマックスの上でだらだらスマホを弄るGWを過ごしている。買っててよかったヨギボーマックス。実家を出ることに不安しかなかったときに、すこしでも楽しみを作ろうと奮発して購入した憧れのヨギボーマックス。外出自粛が始まってから、快適な時間をくれている。

 夫とここまで長く一緒にいることはこの先もあまりないだろうし、料理は夫がしてくれるし(飲酒する日はつまみも作ってくれるので体重増加が止まらない)、掃除はルンバが走ってくれるので、私がすることといえば洗濯やゴミ捨て、皿洗いくらいだ。

 ここまで恵まれた環境にいても、世間の雰囲気とか、そういったものがしんどくなってきた。

 今日は何人死亡だとか、こんなに人望のあった人がコロナを理由に自殺しましたとか(同じ自死でも人望の有無で扱いが変わる恐怖)、それに関して「一方で生きたくても生きられない人もいるのに」という議論だとか(自殺者は死にたくて死んだんだろうか?)、ここまで「死」に関する情報を見聞きするのって東日本大震災以来じゃないだろうか。よりショッキングなことばかりが繰り返し取り上げられる。わたしは見知らぬ人の死に触れるたびにじりじりと消耗していくのを感じる。なにを知ったところで今の私たちにできることは、手洗いうがいをし、三密を避け、ソーシャルディスタンスをとり外出自粛をする、ただそれだけなのに。テレビでニュースよりもYoutubeを見る時間のほうが多くなった。一次ソースとなる記者会見だけは見ている。

 「外出自粛要請後も人出は減少せず」「感染者は依然増加」という見出しに、「多くの人が耐えようとしているところに、やる気を削ぐような報道をしなくてもいいのに。自粛効果のあがっているところを報道してくれたほうがやる気になるよなぁ」と思って、でもそれって都合のいい言葉ばかり並べて士気をあげていた戦中と同じ思考じゃないかと気づいて自分自身にヒヤッとした。

 毎日、いろんなものに対する厳しい批判ツイートを目にする。何かを批判することは一番簡単で「なにかをした気になれる」ことだし、今は人の考えを咀嚼するエネルギーもないので見流すようにしている。skyというスマホゲームが面白いおかげで、ツイッターを開く時間も少し減った。

 GWに入ってから生産的なことをなにもしていないと気づいて、なにかアウトプットしなければという焦る気持ちで記事投稿ページを開いた。

 明日は一年以上つけたままのカーテンを洗おうと、部屋中のレースカーテンを外して洗濯ネットに詰め込んだ。そして今、明日は気温が下がって雨の一日になりますと天気予報士が伝えている。カーテンを外している段階で一抹の不安はあったんだけど、こういうとこなんだよなぁ。

以下、スギにかわりましてヒノキがお送りします

・中指の爪の周りが腫れて痛んで、4日経っても治らなかったので皮膚科を受診した。ひどく痛むわけでも出血しているわけでもなく、なにより日常生活に支障がないくらいだったので休暇をとりづらかったのだけど、「爪の中に膿がたまる」という症例をネットで見てこわくなったので週末を待たずに午後休をもらった。

・女子高生らしき二人組がテンション高めに受付表を書いていた。休校になった時間を利用してファーストピアスのために来院したらしい。「ほんとに待っててくれるの~!?」「待ってるよ!」と小さくはしゃぐ声に、今日の夜には枕に擦れて痛んだり、洗浄がめんどいと愚痴ったり、初めてのピアスを披露したりするところを想像してほっこりした。

・診察結果は指をちょちょっと見た後に抗菌剤を処方されて終わった。「この後、うん、今日はおやつでも食べて、すぐ飲んでください」とお菓子をつまむジェスチャーをする先生のいたずらっぽい笑顔がいいなと思った。公式サイトに院長と従業員が陽気なポーズをした集合写真がのってるからって警戒して申し訳ない。

・服薬3日目から、腫れていた部分の皮がベロベロ剥ける。水ぶくれを潰したあとみたいに剥ける。ということはやっぱり中に膿がたまっていたんだなぁ。週末を待って受診していたらどうなってたんだろうか。

 

バカリズムの架空OL日記を見た。

・前日にオンライン予約をして、当日、寝坊した。朝食も食べずに慌てて家を出て、電車の中で上映時間を55分早く勘違いしていることに気づいた。遅刻したくない人間によくある10分の桁切り落とし記憶(「10時30分集合だから10時に現地着すれば間違いない」という思考回路)のせいだ。結果的にフードコートでご飯が食べられたのでよし。

・TOHOシンデレラが出てくる前の静寂の時間、大粒の雨がザラザラと屋根に当たる音がシアターに響いていて、防音って内から外に向けてしか意味がないんだなと思う。

・アドリブっぽいシーンが多くて、そこが一番ほんわかして笑えた。もうすこしでメタになってしまうギリギリ感じる撮影現場の雰囲気いいな~~。

・衣装提供がローリーズファームとジェラピケなのもいい。寝間着のジェラピケ、絶対自分で買ってない。クリスマスプレゼント交換とかで当たったやつだと思う。っていうかジェラピケを着て違和感のない升野さんはなんなんだ。それから、さえちゃんがかわいい。

・架空OL日記は、世にも奇妙な物語だった。

 

・近くの桜並木が満開。風向きで磯のにおいも感じられて、この土地ならではの四季で面白い。去年は見られなかった桜なので、感慨深い。

 

 

◇ 今日までに行動にうつしたやりたいこと(今年の抱負実践) ◇

①日本酒のみ比べ

アンテナショップと新宿クランドで日本酒のみ比べをした。クランド、新宿だしもっと汚い感じを想像していたんだけど、店内は非常にいい雰囲気でみんなが酒を楽しんでいて、店員さんも感じのいい人が多くてとても好きな空間だった。黄色いものは甘口が多く、自分の好みはやや辛口だと知る(正誤はしらんけど)。日本酒って獺祭くらいしかおいしいと感じたことがなかったけど、わりとイケることが判明したのでとても大きな収穫だった。日本酒のあとの味噌汁がおいしいことを知る。一緒に楽しんでくれる友人がいるありがたさ。

食に関する持論だけど、はじめてのものは高いものを試した方がいい。数百円ではなく数千円単位の。そうしておけば(好みは致し方ないとして)まっずいものに当たることはない。

 

②西洋絵画の本を買う

5分でわかれ!印象派

5分でわかれ!印象派

  • 作者:須谷 明
  • 発売日: 2019/11/25
  • メディア: 単行本
 

作家をキャラクターとして覚えやすいものと、手広くカバーしているものを買いました。カタカナでもキャラクターにしちゃえば楽勝だって知ってるんだ、ヘタリアが教えてくれたから。前者は作家のエピソードがたくさん載っていて、楽しめる。後者は有名な絵画の見方(モチーフや寓意)の説明があるのでとても便利。人物相関図も、ダヴィンチにむかって弟子から伸びる矢印に「ちょろい」と書いてあったりして親近感をもてる。

満を持して美術館にいくぞ~~!ロンドンナショナルギャラリー展の前売り買うぞ~~~!!と思っていたのに新型コロナで延期され続けていて悲しい。

 

③スクラッチアート

興味がありながらタイミングを逃し続けて未経験だったもののひとつ。中学の美術でやったステンドグラスアート(ガラスに黒い塗料が塗られていて、それを削って主線をつくり表面の色から塗っていくもの。鍵しおの黒猫を描いた)(その姿から猫は忌み嫌われていた)に似ている。とても好きな作業だったので、もう一度体感できて嬉しい。ペン入れ作業がすきな人にも向いていそう。絵をうまく描ける錯覚を起こすことができるし、ディズニー作品が一枚200円くらいで二時間くらい時間が潰せるとおもったらコスパいいと思う。

 

④パチンコを打つ

その日は原因不明ながら尋常でなく腹を下していて、トイレを長時間借りたのでさすがに申し訳なくて打った。海物語、400円入れて2000円もどってきた。魚群とかサムくんが熱いことは知っていて、知っている演出がでると嬉しい。たまに打つぐらいなら楽しいかもしれない。ただ、小学生の頃にコインゲームにドハマりした過去があり、射幸心に煽られやすい性格だと自覚しているので一人では打たないようにする。どうしても打ちたい台はゲームセンターで探す。

2019年総括 今頃?

この記事を下書きに眠らせたまま1月を終えるわけにはいかない。学生の頃、休み明けの課題提出は始業式から最初の授業までの数日が本番だったことを思い出します。

 

・2019年の目標は「自分らしさを忘れない」でした。入籍に伴い環境やいろんなものが変わり、自分が今までの自分でなくなるような感覚がこわくてこの目標に決めました。「自分らしさ」とは、自分が好きな物事のことです。忙殺されて好きなものを忘れないように、自分のことを好きでいられる選択をするように。中心にある好きなものが変わらなければ、得体の知れない自分にはならないような気がしたから。

LH祭一日目のオープニング、トライオーが出てきたときに一人で(´;ω;`)ブモッとなりました。自分も含めたすべてがすっかり形を変えてしまったように思えた中で、LHを好きになった当時の自分を思い出したような。あの時から変わらずそこにいてくれて安心したんだと思う。夫のアレコレですっかり離れていた趣味の世界に、やっとここまでこれたと実感することができて。「シリーズ変わってるから変わらずではないだろ」と言われればそうなんだけども!外見は同じなので!それもクラスタにはわかる小さいリメイクとかいろいろあるんだろうけど!紹介されて手を振るトライオーさんを見た瞬間に、過去の集合イベントでゼロスさんとかと絡んでたり、にゃーちゃんって呼ぶはちやーさんのこと思い出したりしたのは大きいんだ。

・やっぱりねぇ、LH祭のあの光景はすごいとおもう。回数を重ねるごとに脳裏の記憶が蘇るから。蘇我の地で。ありがたいねぇ。

・この出来事で活力を取り戻したかのようにポンポンと一人旅行ができました。それで自分らしさを取り戻せた気がします。京都一人深夜バス旅行withフィルムカメラ、とても楽しかったのでいつかちゃんとブログに残したいです。

・この一年で、趣味は本当に大事だということを実感しました。よく育児ブログで久しぶりに趣味に時間を費やしたときの幸福感を目にするけど、ほんとそれな。好きなものに触れて、「うわ~~~めっちゃすき~~~~」って楽しんでいる瞬間はなにがあっても自分が自分でいられる気がする。半身麻痺になって指一本動かせなくなった人間が、数十年の趣味のおかげで劇的に回復するのを目の当たりにしたのもある。わたしはいつまでも趣味を持ち続けたいし、その幅は広いほうがいい。どんどん気になるものをかじっていきたい。

・とはいえスパイダーマンにやられるのは予想外だったな~~~!!!!!トムホスパとバース映画を普通に楽しんでいただけなのに、PS4と実写アメスパこわい~~~~!!!!PS4でドはまりして、「いまハマったのはなにかの理由があるはず、つまり今こそ知識を吸収するとき」と自ら沼の深いほうに歩みを進めてアメコミを買ったし映画見たし…知識が増えて世界が広がるということは楽しいことだ…。私は陰キャが調子に乗って饒舌になってるスタイルが好きなのでアメスパが好きですね~~~危ないところにつっこんでいくヒロインに振り回されて援護するキャラ大好き!!

PS4スパをやってると「待ってなに今の台詞、聞いた!?バリタチ…!!!!!」とか独り言を言うので、夫がすごい楽しそうにその様子を聞いています(画面を見ると酔う)。

 

・二十数年生きてきて、転機、波瀾、困難、喜劇的、どの表現が相応しいのかわからない年でした。はいはいはい人生の深み増してきてるよ~~~と笑いながら、どんな時も周りに感謝しながらなんとか生活を続けることができました。具体的には書ききれないし、書くと泣いてしまう(というか書いたら泣いてしまった)ので割愛します。ほんとうにほんとうにありがとう。形にしてもらった言葉も、気にかけてかけてくれた心も、何気なしに定期的にくれた連絡も、すべてありがたく、わたしはそれに救われました。それはこれを読んでるあなたのことです!わたしは周囲に恵まれて生きていることを実感できるので幸せでしょう。

・照れ隠しでグーグル翻訳の文章っぽくしました。

 

・2020年の目標は「やりたいことを行動にうつす」にします。気になってたこと、興味があるもの、どんどん手を出していきたい。今のところは、プロのパーソナルカラー診断を受けてみたいし、同人誌も作ってみたいし、一度くらい髪の毛も染めてみたいし、せっかく展示会がたくさんあるんだから西洋絵画もちょっとわかるようになりたい!フットワーク軽すぎて周囲をビビらすくらいでいきたいです!

そうして蓄積された贅沢は主に腹囲に反映される

お題「ちょっとした贅沢」

・転居後まもなくは「自立した生活」に対する脅迫観念が強くて、二日に一回は必ず掃除をしていたし、料理は毎日しなければいけないと思っていたので、帰宅してから寝るまでツイッターを一度も開かないような生活をしていた。旦那の入院中は精神状態が平常ではなかったのもありさらに拍車がかかっていた。暇があればカーペットにコロコロをかけてずーっと忙しなく動いていた。夕飯や寝る前に使ったコップを洗わないで寝ることができなかった。家が荒れるとメンタルも崩れる説に納得していたので、「なんとか状態をキープしなければ!」と思って。それで余裕がなくなることをなんていうか知ってます?「本末転倒」です。

・ここ数か月、やっと家でのんびりする時間が作れるようになった。休日の夜に、居間でノートパソコンを開いてネットフリックスを見ながら酒を飲んだり、作業用BGMを流しながらブログを書いたり。すごい。家事もしないで好きなことをするって贅沢だ、と思う。夏はゆっくりするには暑すぎるので、寒い中ぶくぶく着ぶくれた状態でホットココアを飲みたい。

・洗濯物が生乾きならコインランドリーで乾燥機にかけるし、なんとなく料理をする元気もないし何も思いつかない日は総菜ですます(外食は選択肢が増えすぎて疲労する)。「帰りが早いわたしがやらなきゃ!」という気持ちもあるんだけど、そのためにわたしが疲弊することは旦那にとっても本意でないと思う。疲弊しながら料理を作ってメンタル崩すより、余裕を残したまま布団に湯たんぽを仕込んでおくほうがwin-winだし。こういう考え方ができるようなった。ちょっと無理して料理を作ろうとすると、「頑張らないことが目標」という言葉がチラつくのですごい進歩。

・でもこれって、毎月の家計がひっ迫しているわけではない(はず)だからできることなんだよな。そう考えると毎日がちょっとした贅沢なのかもしれない。だらしないから貯金はできてないけど。

 

・デートの食事代等を割り勘にするかどうかはそのカップルによると思うんだけど、わたしは奢られるのが好きじゃない。男性が女性に奢るロジックがよくわからない。そんなところで恩を感じるのも嫌だし、ていうか別に奢ってもらっても「やだかっこいい~」と感じないし。

それで、一緒に生活するようになって、ふとした場面で奢ってもらうのはシンプルにしあわせだな~と気づいた。洗濯物が乾くまでの30分間に缶飲料一本とか、通りがかりの肉屋のメンチカツとか。たまに買ってきてくれるスイーツもだ。そういうときに感じるしあわせは、イコール贅沢でもあるなぁ。

・たとえば、デートで一食1000円+税のランチを奢ってもらうなら、一杯150円のセブンカフェを奢ってもらうために7回手をつないで散歩したい。

増税前に食品を買いだめするようなことばかりしている気がする

後から「食品は軽減税率対象じゃん…」と後悔すればまだいいけど、気が付かないまま一人で満足しているパターン。

 

お題「これって私だけ?」

・「こすらず落とす!」「もうこすらなくていい!」と強調しているバスマジックリンのCMを見るたびに、わかっちゃいるがこすらないと気がすまないんだよなぁ。私が商品開発部の人間だったら「こすらなくていいって言ってるじゃん!」と嘆くと思う。それでも、浴槽を洗う一連の動作としてスポンジでこすることが染みついていて、もう、「そういうもの」になってしまっているので、こすってしまう。そのほうが早い気がするし。本当は泡を吹きかけて、その間に別のことして、あとは流すだけでラクラク~っていうものだと気づいてはいるんだけど。

・周囲の人に「なんでそんな二度手間なことを…」と思う瞬間があるんだけど、それってまさにわたしのバスマジックリンなんだろうな。アップデートと適応能力が低くなっているせいで、やらなくていいことをやってしまう。

 

・「ていねいな暮らし」に憧れたりする。同時に、ていねいな暮らしってなんぞやとも思う。雑誌の特集なんかで見るのは、週末は家でお菓子作りとか、ひとつの物を大切にする生活とか、ナチュナルに生きるとか、飾らない自分とか、そういうものが多い気がする。オーガニックとか。この言葉の羅列だけですこしアレルギーが出そうだ。

・別に映える生活がしたいわけではなくて、多分、ブレないちゃんとした生活がしたいんだとおもう。お気に入りの食器や入浴剤にちょっと心がおどる日常。しっかりとした自分の価値観がないとできないことだ。居住スペースを自分の好きなものでそろえていくのって時間もお金もスタミナもいる。

・ちゃんとした生活が送れているかどうかも怪しい。二日に一回は掃除をしていたのに、最近はめっきり週二回だ。自炊もあんまりしない。みんなそんなもんなのかな。

 

マツモトキヨシで取り置きサービスを利用すると、店頭価格より100円安くなることがあるのでよく使う。一階の日用品と二階のカウンセリング化粧品が別会計だと面倒臭い。でも、どの店舗でも店員さんを走らせる&レジの進みが遅くなるのでメリットより申し訳なさが勝る。自分が店員側だったら、ちょっと嫌だ。

・でもおすすめです。店舗によって同じ商品が120円も違う上に、取り置きだとさらに安かったりします。会計時にクーポンで値引きされるし。

・値引きに喜びを感じる度に、自分の年齢を実感。趣味にだけお金を使える時期は過ぎてしまった。

グオタのつぶやき

わたしは今ディズニーシーにいて、グーフィーに会うために列に並んでいる。西日は緩んできて、すこし肌寒くなってきた。待ち時間は100分。100分て。いつもは25分とか40分なのに。この施設は来月末で違うキャラクターの場所になってしまうから、駆け込み需要なのかもしれない。わたしもそのうちの一人だ。

ショーを100分待つことはあっても、それ以外で経験するなんて思ってもみなかった。自分らしくないけど、ほんとうに最後かもしれないから、100分並ぶ。

この時間、グーフィーについてとりとめのないことを書く。気持ち悪い文章になることはわかっているので、読む人がいたら注意してほしい。

 

わたしがグーフィーを好きになったのは確か高校生の頃で、何が明確かきっかけだったのかいまは思い出せないけれど、「は??なに??めっちゃかっこいいじゃん???なんなの??」とキレた覚えがある。マウスカレードのときはもう好きだった。

ショーでのグーフィーは元気に跳ねて踊り、キレのあるダンスをして、どう見たってしっかりとかっこいいのに、かっこいいだけで終わらせない。必ず最後にオチをもってきて笑わせる。たまにかっこよさを見せつけてドヤ顔で終わるけど。ほとんどは笑わせて終わる。ドッと広場全体のゲストが笑う瞬間が好きだ。あの瞬間に、わたしはさらにグーフィーを好きになる。「今日もたくさんみんなを笑わせている、本物の笑顔の精だ」と実感する。

グリーティングトレイルは友人知人にグーフィーのよさを解ってもらういいトラップだ。「なんかよくわかんないけどグーフィーはこわい。背が高いからかな?」と言っていた友人は、わたしに頼み込まれてトレグに並び、グーフィーとハグをして、驚きの表情を浮かべた。それから、「…え、グーフィーって最高じゃない??」と困惑しながら笑った。そのときのわたしのしたり顔は言うまでもない。

25分や40分の待ち時間中、グーフィーのほうからはいつだって笑い声が聞こえてきた。ちなみに、わたしは「暑いから倒れないように気を付けてね!」とか「かっこいい~またくるね~ありがとー!」くらいしか言えない。テンパりすぎて頭が回らなくなるので、キャラキャプさんがいないとろくに話もできない。

就職してから今まで、何度もしんどくなって、しんどくなるほどにグーフィーに会いたくなった。パークにきて、遠目からショーに出て動いているグーフィーを見るだけで、ありがたさに涙が出た。あぁ今日も変わらず元気に動いている。みんなを笑わせている。その風景が大好きだ。

とにかく、わたしはグーフィーに何度も救われてきたのだ。どんなにしんどくても、辛くても、パークにきて、笑って、あたたかい気持ちにさせてもらうことで、そこからまた頑張ろうと思えた。上司の小言に胃が痛くなったら、週末に見たグーフィーを思い出してニヤニヤしながら仕事をこなした。

推しや贔屓がいる人って、たぶんみんなそうなんだとおもう。毎日がくだらなくて投げ出したくなるときも、推しに心の薬をもらってなんとかふんばっているんだとおもう。人生を救われているんだとおもう。決して大袈裟な話じゃない。

 

キャラクターは永遠だ。その「永遠」は数えきれない人たちの苦労と努力で成り立っている。数えきれない人たちが守ってきて、繋げてきて、やっと今がある。なんて尊い仕事だろうか。感謝しかでてこない。すこしでもふかふかな布団で寝て、健康的な食事を摂って、健やかに生きてもらいたい。

ミッキーたちはいつでもここにいる。でも「会える」のは今だけだ。わたしたちには何が起こるかわからないから。今日の夜、心臓が動かなくなるかもしれない。明日、震災がおこるかもしれない。約束された時間なんて、ひとつもない。

 

今日1日パークを歩いてみて、すごく不思議な気分だった。最後に来た秋から今日までに自分の周りに起きた出来事も、これからのことも、すべて夢なんじゃないかと思った。秋からなにも変わっていないんじゃないか。わたしは今日も実家に帰って、なにひとつ不安を抱かずに明日のために眠りにつく。そんな毎日のままなんじゃないか。

でも本当は、しっかり、すっかり、変わった。良い意味でも悪い意味でも。わたしがどんなに変わっても、わたしになにがあっても、パークにはミッキーたちがいて、グーフィーは今日もたくさん元気を分け与えている。だからここにくればわたしはいつでも元に戻れるのかもしれない。ここはわたしに必要な場所だ。

 

なにを書きたかったんだろう。わからなくなってしまった。

すっかり日が暮れて、スマホをタップする指先が冷えてしまった。雪の日に会いに来たとき、心配そうに抱きしめてあたためてくれたことを思い出す。友人とも来た。家族とも来た。大切な人との思い出がたくさんある。

オタクの自己満足でしかないけど、どうしてもありがとうと伝えたくて100分並んだ。テンパってやらかしたときのために手紙を書こうと思っていたけれど、案外恥ずかしくてやめた。

あと数人で順番だ。ちゃんと言えるかわからないけど、がんばろうとおもう。

たくさん元気をくれてありがとう。わたしはグーフィーが大好きだよ。