寿限無

やぶらこうじのぶらこうじ

読書感想文の思い出話

お題「読書感想文」

 とても夏らしいなぁと感じたので思い付くことをつらつら書こう。

 

夏休みの宿題は最後の最後まで溜めるタイプでした。中学は特にひどくて、始業式から最初の授業までが本番とばかりに溜め込んでました。高校に入ってからはやらないと将来の自分が苦労するということを理解したので提出物はちゃんとしてたかな…そういう都合のいい記憶に塗り替えてるだけかもしれないけど…。

唯一やる気をもって取り組んでいたのが読書感想文です。「やった今年も宿題に出た!」と喜びながら取り組みました。学校や先生によっては宿題にださないところもあるようですが、小学校から高校三年生まで毎年でてたなぁ。というか、読書感想文だけでなく作文がすごく好きだった。

どうしてかというと、文章を書くことが好きだったからです。「文章を書く」というよりは「文章で自分を表現する」ことのほうが近い。小学二年のころにはすでに吃音を発症していたので、喋って自分を表現することが大の苦手だったのが好転して自己表現の手段が自然と文章に向いた感じ。教室の後ろの棚に「学級文庫」というコーナーがあり、生徒が自作した漫画(じゆうちょうに描いたレベルのものだけど)を置けたので、そこに置いたりしてたな~超懐かしい。中学生に入る時にはすでにホモ小説書いてたしな~~!!

授業で読書感想文やら作文やらがあるってことは、少なくとも担任の先生は必ず読むわけじゃないですか。作文とかに限らず、ノートやレポートもそうだけど。赤字の「見ました」スタンプだけだとちょっとしょんぼりして、でも先生のコメントが書いてあるとすっごい嬉しかった記憶ないですか?あれってすごいと思うんですよね。子どもの健全な承認欲求を過不足なく満たしてくれるナイスな仕組みだとおもう。全生徒のを読む先生は大変だろうけど!わたしにとって初めての「ひとつの作品に対してレスポンスがつく喜び体験」は間違いなくあれだとおもう。しかも書いたら必ず読んでくれる読者がいるって、そらやる気がでるわ!!

赤ペン先生だってそういうことでしょ?勉強だけだとつまらないから最後に大したことのない会話のためのスペースがあるの。わたしは続かなかったけど(「この赤ペン先生は前回の赤ペン先生と同じ先生なのかな…違う人かもしれない…」とか考えてしまってコメントを書けなくなり、申し訳なくて提出できなくなりました)。

 

そんなふうに楽しんで書いていた読書感想文は、中学で市のコンクールに出されましたが佳作で終わりました。「ですよねー」って言いながらも悔しかった。次に高校代表に選ばれて県のコンクールに出された時には、賞をもらったりしました。自慢です。これ自慢です!!自分でも自信作だったので!!なんで自信作だったかというと、題材が重松清の「きよしこ」だったから。読みながら泣いて、その勢いで書いて、推敲を重ねて、「あぁわたしの感想文だ、吃音持ちのわたしの感想文だ」と思えて、それがそのとおり評価され結果をのこしたわたしの人生の中でも幸せなエピソードです。表彰式のために先生と電車を乗り継いだ午後のことをわたしはずっと忘れないと思う。

 

そんな経験をくれた読書感想文。わたしが高校にあがった頃から「読書感想文で読書を強要するのは間違いだ!!」っていう声もあるけど、別に書かせるために読ませることが目的じゃなくて論理的思考や国語表現の実践による学習が目的だとおもうし、無くならないでほしいです。

それよりあさがおの日記つけるほうがよくわからなくないですか?持って帰るのだけでもめっちゃしんどいし。終業式の大荷物が三割増しですよ。理系的には実験の記録をつけさせる目的なんだろうけどそもそも育てられないからなにもしなくても変化するものにしてくれ。天気とか。天気だけでも三日坊主になってたとおもうけど。

ブログは三日坊主にならないようにがんばります。