寿限無

やぶらこうじのぶらこうじ

そうして蓄積された贅沢は主に腹囲に反映される

お題「ちょっとした贅沢」

・転居後まもなくは「自立した生活」に対する脅迫観念が強くて、二日に一回は必ず掃除をしていたし、料理は毎日しなければいけないと思っていたので、帰宅してから寝るまでツイッターを一度も開かないような生活をしていた。旦那の入院中は精神状態が平常ではなかったのもありさらに拍車がかかっていた。暇があればカーペットにコロコロをかけてずーっと忙しなく動いていた。夕飯や寝る前に使ったコップを洗わないで寝ることができなかった。家が荒れるとメンタルも崩れる説に納得していたので、「なんとか状態をキープしなければ!」と思って。それで余裕がなくなることをなんていうか知ってます?「本末転倒」です。

・ここ数か月、やっと家でのんびりする時間が作れるようになった。休日の夜に、居間でノートパソコンを開いてネットフリックスを見ながら酒を飲んだり、作業用BGMを流しながらブログを書いたり。すごい。家事もしないで好きなことをするって贅沢だ、と思う。夏はゆっくりするには暑すぎるので、寒い中ぶくぶく着ぶくれた状態でホットココアを飲みたい。

・洗濯物が生乾きならコインランドリーで乾燥機にかけるし、なんとなく料理をする元気もないし何も思いつかない日は総菜ですます(外食は選択肢が増えすぎて疲労する)。「帰りが早いわたしがやらなきゃ!」という気持ちもあるんだけど、そのためにわたしが疲弊することは旦那にとっても本意でないと思う。疲弊しながら料理を作ってメンタル崩すより、余裕を残したまま布団に湯たんぽを仕込んでおくほうがwin-winだし。こういう考え方ができるようなった。ちょっと無理して料理を作ろうとすると、「頑張らないことが目標」という言葉がチラつくのですごい進歩。

・でもこれって、毎月の家計がひっ迫しているわけではない(はず)だからできることなんだよな。そう考えると毎日がちょっとした贅沢なのかもしれない。だらしないから貯金はできてないけど。

 

・デートの食事代等を割り勘にするかどうかはそのカップルによると思うんだけど、わたしは奢られるのが好きじゃない。男性が女性に奢るロジックがよくわからない。そんなところで恩を感じるのも嫌だし、ていうか別に奢ってもらっても「やだかっこいい~」と感じないし。

それで、一緒に生活するようになって、ふとした場面で奢ってもらうのはシンプルにしあわせだな~と気づいた。洗濯物が乾くまでの30分間に缶飲料一本とか、通りがかりの肉屋のメンチカツとか。たまに買ってきてくれるスイーツもだ。そういうときに感じるしあわせは、イコール贅沢でもあるなぁ。

・たとえば、デートで一食1000円+税のランチを奢ってもらうなら、一杯150円のセブンカフェを奢ってもらうために7回手をつないで散歩したい。