寿限無

やぶらこうじのぶらこうじ

外出自粛あれこれ

 外出自粛については、もともとインドアなのもあってあまり苦に感じていない(完全な在宅勤務に移行できず通勤行為が続いているのも苦に感じていない理由だと思う)。今のところリストラや収入面に関する心配もない。毎朝遅くに起きて、とりあえずリビングに移動して、ヨギボーマックスの上でだらだらスマホを弄るGWを過ごしている。買っててよかったヨギボーマックス。実家を出ることに不安しかなかったときに、すこしでも楽しみを作ろうと奮発して購入した憧れのヨギボーマックス。外出自粛が始まってから、快適な時間をくれている。

 夫とここまで長く一緒にいることはこの先もあまりないだろうし、料理は夫がしてくれるし(飲酒する日はつまみも作ってくれるので体重増加が止まらない)、掃除はルンバが走ってくれるので、私がすることといえば洗濯やゴミ捨て、皿洗いくらいだ。

 ここまで恵まれた環境にいても、世間の雰囲気とか、そういったものがしんどくなってきた。

 今日は何人死亡だとか、こんなに人望のあった人がコロナを理由に自殺しましたとか(同じ自死でも人望の有無で扱いが変わる恐怖)、それに関して「一方で生きたくても生きられない人もいるのに」という議論だとか(自殺者は死にたくて死んだんだろうか?)、ここまで「死」に関する情報を見聞きするのって東日本大震災以来じゃないだろうか。よりショッキングなことばかりが繰り返し取り上げられる。わたしは見知らぬ人の死に触れるたびにじりじりと消耗していくのを感じる。なにを知ったところで今の私たちにできることは、手洗いうがいをし、三密を避け、ソーシャルディスタンスをとり外出自粛をする、ただそれだけなのに。テレビでニュースよりもYoutubeを見る時間のほうが多くなった。一次ソースとなる記者会見だけは見ている。

 「外出自粛要請後も人出は減少せず」「感染者は依然増加」という見出しに、「多くの人が耐えようとしているところに、やる気を削ぐような報道をしなくてもいいのに。自粛効果のあがっているところを報道してくれたほうがやる気になるよなぁ」と思って、でもそれって都合のいい言葉ばかり並べて士気をあげていた戦中と同じ思考じゃないかと気づいて自分自身にヒヤッとした。

 毎日、いろんなものに対する厳しい批判ツイートを目にする。何かを批判することは一番簡単で「なにかをした気になれる」ことだし、今は人の考えを咀嚼するエネルギーもないので見流すようにしている。skyというスマホゲームが面白いおかげで、ツイッターを開く時間も少し減った。

 GWに入ってから生産的なことをなにもしていないと気づいて、なにかアウトプットしなければという焦る気持ちで記事投稿ページを開いた。

 明日は一年以上つけたままのカーテンを洗おうと、部屋中のレースカーテンを外して洗濯ネットに詰め込んだ。そして今、明日は気温が下がって雨の一日になりますと天気予報士が伝えている。カーテンを外している段階で一抹の不安はあったんだけど、こういうとこなんだよなぁ。