寿限無

やぶらこうじのぶらこうじ

コロナはやく終われ

・地元のスナックの扉に、雑な字で「当店からコロナ感染者が出たと噂されていますが、そのような事実はありません。」と書かれた紙が貼られていた。

・自粛警察と揶揄される行為は五人組のようだし、みんながこぞって手縫いのマスクを作り始めたときはまるで戦時中の竹槍訓練か千人針のようで、「コロナに負けるな!」の言葉はその感覚を後押しした。柄モノで楽しもうという動きはモンペをオシャレに着こなそうと工夫していた女性達の姿に重なる。数十年後の学生は、歴史の教科書をめくりながら「なんて意味のないことを信じていた怖い時代なんだ」と思うだろう。わたしがそうだったように。

・高校時代、政治担当教師が「自民党政権が終わった。これは必ず教科書にのる。私達はいま、歴史の1ページにいる。」と楽しそうに話していたことを思い出す。そのときは大袈裟だと思っていたけれど、東日本大震災以降、さまざまな場面でその言葉を実感している。

 

・再開したディズニーシーのメディテレーニアンハーバーからミッキー達の挨拶を見て、本来ならミッキー達がいくら手を振っても間に合わないほどの人がここにいるはずなのに、今の彼の目にうつる風景にこんなにも人が少ないなんてと悲しくてちょっと泣いた。

推しが見ている風景の一部になりたい。「今日も客席が埋まっている」「たくさんの人が手を振っている」その群衆のひとりになりたい。「なんか差し入れが多いな」のひとつになりたい。今は、そのひとつになる場所すら無い。

 

・結婚式に向けてドレスの試着や招待状の発送やら、いよいよ尻に火をつけるための松明が用意された気分だ。式場の提案するコロナ対策だけでゲストが安心できるのか、1卓何人がいいのか、ウェルカムドリンクは?集合写真は?プチギフト手渡しは危険?どうしたらいいのかわからないことがたくさんありすぎる。

招待予定の同僚に「予定通り強行するの?」と聞かれて、やはりどれだけ対策をしても「強行」なのか、と思った。喉元に刺さる魚の骨。「結婚式でクラスター」と報道される夢はすでに見た。