寿限無

やぶらこうじのぶらこうじ

夢の話

「明日のデートはホテルに行こう」と恋人と約束をして電話を切った夜の話だ。わたしは明日に向けて浮き足立つ気持ちを家族に悟られないよう努めていた。こういったことは「秘め事」であるし、そうすることが同居人(家族)に対するマナーだと考えていたからだ。もしバレてしまったら大変なことになる。平常を装って、念入りにムダ毛の手入れをすませて、手持ちの中で新しい下着を身に付けたりした。もしかしたらいつもより入浴時間は長かったかもしれない。良好な関係を築いている恋人との約束は精神的充足感を与えてくれた。我ながらまるで遠足前夜の子どものようだと失笑しながら、心地よく眠りをついた。

だからこんな夢を見たのだと思う。

夢の中で、わたしは恋人とホテルの一室にいた。とうに入浴をすませてベッドに潜り幾度かのキスを交わし、(おそらく)互いに気持ちが高まってきたときに、ふと、わたしはそれに気付く。

わたしは見られていた。ベッドの縁にきれいに腰かけた女性にまじまじと見つめられていた。女性は、わたしの母親だった。その目には怒りや悲しみが浮かべられているわけでもなく、ただただ、わたしたちの一挙手一投足を見逃さまいとする意気のようなものがうつりこんでいる。その時の母の目はわたしの背中に回された彼の手を見つめていた。

夢の中のわたしは一瞬だけ息を止めたが、すぐにため息をはいた。「またか」と諦めたように。

母は性に関して消極的な人だった。性行為全般には嫌悪感さえ抱いている。彼女の人生の中でなにがそうさせたのかは、まぁなんとなく察しはつくが、とにかくわたしは母からの「子には子であってほしい=純粋潔白であってほしい」という気持ちをひしひしと感じて育った。大人であることは認められても、性に関して大人の女性であるという内面的なところに関して認められることがない。その証拠に恋人との外泊は禁止されていた。夜でなくてもどこでだってやることはやれるのだから、道理でないといつも思う。

親に内面的な性を認められないということは、少なからずわたしの自意識に影響を与えていた。第二次性徴時に感じた、女性に近づいていく自分の身体の気持ち悪さ。初潮を迎えた日の吐き気。あの感覚が見えないところにこびりついて、それを許さない。許されるはずがない。ましてや親に隠し事なんて。

家族に隠れた恋人との性行為など、もってのほかだ。

「…なんで見てるの。」

「なんでって、あんたは親に隠し事をするの?しないでしょ?やましくないなら見てもいいでしょう」

日常会話のようだった。まるで居間で世間話をしているんじゃないか、という語調がやけに生々しく感じた。

「これはやましいことだ」という意識があった。隠さなければならない罪悪感があった。だから返す言葉がなかった。悪いのはわたしだ。けれど別のわたしが「20歳を過ぎた男女の健全な欲求を否定するのか」と腹を立てている。よくできた夢だなぁ。寝る前にあんなことをしたから、わたしの中の母親が夢にまで出てきたんだろう。呪いだ。ツタのようにわたしの深いところにまとわりついて、動こうとすれば傷をつける。

わたしは先程までとは違う、まるで不安で仕方がない子どもが親に求めるような感情で彼のぬくもりに手を伸ばした。心が安らぐ場所を彼の傍に求めた。彼はなにも言わない。彼に母が見えているのかもわからない。それでも、彼は無言でその大きな腕の中にわたしを迎え入れてくれたのだった。そのことにとても救われて、泣いてしまいそうだった。

目覚ましの音で目を覚ます。スヌーズを止め、この話をツイッターに投稿するかどうか悩んで、やめた。

 

すべて夢の話だ。