寿限無

やぶらこうじのぶらこうじ

伝えたい言葉でない言葉を拾われたくない話

エゴサに生き辛さを感じている面倒くさいオタクが話をします。

 

最近のツイッターの使用方法として、「ふろるー」「ふろてらー」時期と比較すると公式アカウントと個人アカウントの距離が近くなった(交流が安易になった)なぁと思うんですけど。

「公式」と呼ばれる人達も人間だから、エゴサを、するじゃないですか。

あれ、度が過ぎると、オタクとしてはしんどくないですか?わたしだけ?

決してエゴサをしてくれるなという話ではなくて。逆に内容によっては本人のエゴサにひっかかるようにツイートしたりするし(たとえば自分が撮影した写真をリプライで公式アカウントに送りつけるなんておこがましくてできないけど、「写真のアップを楽しみにしてる団体だからアップされたことがわかるようにしておくか~」と名前や団体名をいれてツイートする、とか)。

わたしがしんどいのは、隠れるように文字を変えたりしているツイートまでエゴサされて見つけられてしまうことがしんどい。

エゴサすごすぎるwww」という反応からのドヤ顔の楽しさもわかるんですけど、わざわざ正式名称でない名前で呼んでいることの意味を10秒でも考えてくれないのかな・・・、と思ってしまう。

エゴサが市場調査に有効なこともわかるし、親しみをもってもらうことが販促になるのもわかる!!活動する以上は反応も気になるよね!「見られたくないなら隠れろ」っていうのも十分にわかるし!!「これは見られたくないっていうか見られたらまずいやつやな」っていう内容はちゃんと鍵垢とかでやるよ!!

でも!!!そこまでしなくても!!いいんじゃないのか!!

ツイッターはファン同士の交流の場でもあって、オタク同士が「はぁ~~このアングル最高なんじゃ~~~」「それな。そしてここの指先が至高」「待って…なにそれ尊い…」って馬鹿みたいな語彙力で話しているところを本人に見られたくない!それに反応されると「待ってくれ今の発言は別にお前に向けての言葉なんかじゃない、違う、誤解だ、話せばわかr、やめ、やめろおおおお」っていう気持ち。

本人の前では必死に「こんにちは、はんだです!今日も素敵でした!次もがんばってください!」って迷惑をかけないように礼儀正しい姿で接している中、同胞とよだれを垂らしながら話している姿を見られたら全部おじゃんなんだよね!!ぶつぶつ一人ごちてよだれ垂らしながら壁打ちしてる姿とかホラーでしかないじゃないですか!!しかもそれをリツイートされたときは丸裸の写真が拡散されたかのような恐怖を覚えます。

いや、ほんと、見られたくないなら鍵かけろタコっていうのは、百も承知なんですけど。オタクらしく楽しんでいる空間については、見えないことにしてもらえませんかね。時には「エゴサしてるからな?それ全部見えとるぞ?」っていう忠告も必要だとは思うんですけど。

数年前かな?詳細を忘れてしまったけど、どこかのゆるキャラ?さんが「自己顕示欲が強いのでエゴサするよ!でも見られたくない時もあるだろうから、そういうツイートにはこのハッシュタグをつけてね。僕はこのハッシュタグをミュートワードにするから、僕からは見えなくなるよ」っていうツイートをしていて、なにそれオタクに理解が深い~~!!!エゴサされたい派との住み分けも完璧じゃん~~!!!と感動した記憶が強くて、ほんと、最高だよね、そのシステム。ツイッターのシステムをうまく活用している。

もちろん「そんなこと言ってハッシュタグもちゃんと見てるんでしょ~~」っていうことを考えなくもないですけど。でも。リツやイイネをされなければこちらはそれに気づかないわけで。こちらが認識しないのであれば存在しない。いわばシュレディンガーの猫。それでいい。

 

 つらつら書いてきましたけど、単にわたしが「公式」と「ファン」の間に一枚の壁や乗り越えられない段差があってほしいと考えるオタクだから生きづらいだけなのかな~~~。ツイッターでの公式との馴れ合いというか、わいわいやりとりをする文化に向いていないだけなのかもしれない。

お腹がすいたのでこの話はもうやめます。