寿限無

やぶらこうじのぶらこうじ

ほとけの国の美術展

府中市立美術館「ほとけの国の美術展」を見に行って来ました。昨年インド細密画展を観に行って、いい美術館だなぁと感じていたので、また興味関心を抱く企画展をやってもらえて縁を感じる。

一番見たいと思ったのは後期展示品「地獄極楽図」。金沢市のお寺が保管しているもので、この作品が美術館で展示されるのは初めてとのことです。公式SNSでもしっかり紹介されています。いままで能動的に日本画に触れる機会がありませんでしたが、これは現物を見たいと思いすべりこみで行ってきました。府中市美術館、広報としてSNSの使い方が上手い。

展示の構成は、六道のうち人道や餓鬼道、阿修羅道が展示。その次からは地獄の階層、それから極楽図が壁一面に展示されています。

人道は生老病死の四苦に悩み苦しまなければいけない道。一枚の縦軸絵画の中には、赤子をとりあげる老婆や、若くして亡くなった女とその横で涙を流す母親と思われる年代の女などなどさまざまな人物が描かれており。人生の縮図というか、この人物の中の誰に視線が行くかで自分の状態がわかりそうな。

餓鬼道は想像通りの餓鬼というか、混雑の関係で地獄を見てから餓鬼道を見たため「あーこんなもんか」と悲惨には感じませんでした。国立美術館で開催されていた「やまと絵展」でも餓鬼の絵を目にしていたからかな。同じ画面に供養している?僧侶や健康そうな人間がうっとうしそうな表情をしているから、そこに存在する身近な存在だったんだろうなぁ。餓鬼はほぼ人間なんだろう。しらんけど。

阿修羅道は、神様の争いに巻き込まれて逃げ惑い続ける道。神様がはた迷惑過ぎて笑う。それは天災のことなのかもしれないし、「人智を超えた神様同士の争いだから成す術がない」というところに絶望感がある。生命を脅かされ続けることがどれだけ苦痛か、それは時代を超えても変わらない普遍なのかもしれない。

で、地獄絵図。罪を犯した人間が落ちるところで、罪の数によって苦痛レベルが変わるという。ここで裁かれる「罪」の定義が気になるけど…。今まで、閻魔様が項垂れた人を裁く絵や、地獄で鬼達に折檻される人間たちの絵を見たことがあるのですが、身近でなさすぎてどこか面白いと思っていました。

ところが、地獄の階層は深くなるごとに空間埋め尽くす真っ赤な炎は勢いを増して、人の衣服はボロ切れになるどころか裸同然になり、顔は恐怖や苦痛に歪み、いたるところから血が噴き出し、そんな人たちが人道とは比べ物にならないほど。「これは戦争体験者の描く絵に似ている」。空襲で真っ赤に燃え上がる炎、被爆して髪や身体は焼けただれ裸同然の姿で力なく歩く人々、転がる死体。今日よりも寺や仏様がもっと身近だった世代の語る「まさに地獄絵図だった」という言葉の重みを私はわかっていなかった。そう思いました。もしくは今この瞬間私の中でも重みのある言葉になったというか、ただひどい有り様を表すだけの言葉ではなくなったというか。

私の隣で絵を見上げていた人の発した「地獄には行きたくないなぁ」という小さい声に、ぐるぐるといろんな考えや感情が渦巻いたのでした。成す術なく逃げ惑う阿修羅道、何十倍も苦しい思いと表現される火に埋め尽くされる地獄。これは前日に「夢の泪」を観劇していたタイミングだったからもしれませんが、そう思いました。電車を乗り継いで見にきてよかった。ここで本物に触れることができたことが、これからのなにかに繋がるかもしれないと思いました。絵ってすげえ。

そのほかにも歌川国芳の「お竹さん(お竹如来)」では「絶対この世にはお竹さんの春画が存在するはずだな…」と思ったり、藤原業平の涅槃図(女ばかりが泣いていて、業平もちょっとニヤけているように見える)に笑ったり、長沢芦雪のわんこに癒やされたりして大満足の展示でした。芦雪のわんこ、もみくちゃになって一本目で潰されてるの最高だった。あと寒山拾得を初めて認識しましたが、非凡さを表すために気持ち悪く描かれるようになったのよくわかんないし、まじでエロ漫画のモブおじさんみたいな気持ち悪さでよかった。満月を指差す寒山拾得はかわいかった。

日本や中国は満月を描くことが多く、インドでは三日月が多くて満月はあまり描かれない気がして面白い。インド画をいくつか見たからこそマジックランプシアター入口の絵を見て「なんか見たやつに似てる画風だな?」と気づいたりするし、いろんなものに触れることって私を豊かさに繋げてくれるそのものだ。

初展覧の作品をたくさんおさめた図録、現地でなくても購入できるようです。

 

 

昔よりもインターネットに自分の記事を残すことのリスクが大きいしなんとなく恥ずかしくなってきたなと疎遠になっていましたが、今このときに感じたこと、考えたこと、それを書き留めておくことって大事なんじゃないかと思う時期になったので、気が向くときにはぼつぼつと残していきたい。